概念としての東京の人はわがままだ
なんだか、すごく勝手な人のブログ(と私には感じられた)を読んでしまい、ここ最近のモヤモヤが爆発しました。
※以下、東京の人を批判してるわけではない。なんか、私のなかにある概念としての東京であって、都会のごく一部の人への不満です。
きっかけになったブログは、東京の人が、お盆の帰省を地元の両親に反対されたから、東京と地元の中間地点的なところで密会することにした、って話なんですが。
東京の側からしたら、地元に帰ってこないでというのは大層理不尽に聞こえることでしょう。
でも、地元側は、その勢いでコロナならないようにみんなピリピリ過ごしてるんです、ガチで。
コロナがそんなに身近じゃないの。
満員電車で仕事行ってないの。
いや言い過ぎた。それなりの混雑した公共交通機関で移動してる人はいるけど、東京の満員電車の比ではない。
外食も控えてるの。
お友達と食事行ったのは、7月に1回あったかな?
隣県にも行ってないよ。車移動でも。
隣近所の人は、どの家の車がどれか知ってる。
知らない車があったら、ナンバーチェックする。県外だったら「お?」と思う。
そのこと自体がひどいことではない。
だって、コロナ以前から、田舎ってそういうところだから。
「おたくのお子さん、こんな時なのに帰ってきてるの?」と暗に批判的に言うかはその人の性格によるけど、まあ、歓迎されることはまずないでしょう。
言ってるその人にも都会に住んでる家族がいたりするわけで、今は帰ってこないで、って泣く泣く伝えてたりするわけだ。それなのに、のこのこ(と敢えて言う)帰ってきてる人を好意的に対応できるものでしょうか。
これがいいことだとも思わないけど、みんな我慢してるんだから、私も我慢しましょうの世界なんですよ。
それが、その我慢の世界側からすると、概念としての東京の人のなんてわがままなことか!
なぜ、そんなに出かけたがるの?
地元に帰りたがったり、移動したがるの?
集まってキャンプする必要ある?
今だって、東京でだけ再開されているエンタテイメントは山ほどあって、地方の私はそれを指をくわえて羨ましく思ってるだけ。
そのくせ、こちらはせめて同じ公演が映像配信されてるのを精一杯満喫して喜んでるのに、「映像配信ではなくて生の劇場での感動を忘れてほしくない」的な意見を述べられたりするのよ。
そんなの重々承知なんです。
それが観られないから、映像で満足しようとしてるのに冷や水かけるようなこと言わなくてもいいのに。
この時代に生観劇できてるのは高等遊民のみぞ。
今、私が欲してやまない生観劇を当然のように享受できるのは、チケットがあるとか、お金があるとか、時間があるだけでなく、東京に住んでる(関東でも、関西でもいいんだけど、まあ都会)ってことなんですよね。
田舎の高校生だった頃、雑誌の世界と自分の世界が違い過ぎて、東京が憧れで仕方なかったけど、あの頃と同じくらいの焦燥感で東京が遠い。
地方格差ってこれかー、って感じる。
30代始めまで東京に住んでいたし、交通費さえ出せば地元にいても東京なんてすぐに行けたのに。遠い遠い。
まあ、ブーブー言ったけど、その分コロナ感染の危険性は低いところに住んでる自覚はあるから、その安心感はあるんだけどね。
都会の人との感覚の違いにはモヤモヤイライラすることが多い。
都会の人側の話しか見かけないので、田舎側の話をしたかった次第。