UCについて、人に理解してほしい?
こんばんは、ダニエルです。
今日は、母が心臓カテーテルアブレーションのため入院したので、午前中は休みをとって、その付き添いをしました。
医師の説明を聞いたところ、危ない手術(先生は、手術ではなく、治療と言っていた)ではないようなので、少し安心しましたが、やはり心配です。
無事、手術(治療)が終わりますように。
さて、ツイッター見てると、病気について人が理解してくれない的なツイをしばしば見かけます。
私の意見だけど、それはもちろん理解してもらえないと思う。それは当たり前のことであって、いちいち悲しむことではないんじゃないかな、と感じます。今日はUC(IBD)への理解について考えていることをいろいろ。
1 交わらない世界線
健康な人に、UCの苦労を話しても、心底理解してもらえることはないと思う。
これは、別に悲観的にそう思うのではなくて、全く別の種族の人に、違う種族の話をしても通じるわけない、ってこと。
あるいは、バスケ部の人が卓球部の人にバスケの話を延々としても、共感はあまり得られないんじゃないかな、みたいな話。
別に、病気に限らず、そういう交わらない世界線は世の中にたくさんある。
働き方の違い(正規と非正規とか)、既婚者と未婚者、子持ちと子なし、さらに独身。
こういう、明らかに立場が違って、素直にすべて話すことで分かり合えるよりは、違いが際立つときは、わざわざ話す必要ないんじゃないかな、と私は思ってます。
もともと、ことなかれ主義だからかもしれない。
なので、私は、UCについて理解してもらえると思ってないし、積極的には人に言いません。
まあ、話題として、場面が明るくなることもないしね。
2 そもそも理解してほしいか?
この病気だと、便とか、血便とか絶対キーワードとして出てきますよね。
私、そういう単語を日常生活を送ってる普通の人にいちいち発したくないタイプなんですよ。気取っていると言われたら、そうなんだけど、そういうタイプなんだもの。
主治医には、言いますよ、便の形状とか。
でも、普通の日常会話で言わないよね?
理解を求めるには、そういう用語が必須なのも、いちいち話したくない気持ちに拍車をかけます。
3 必要な時だけ説明すればいいのでは
理解を求めていないし、UCについて積極的に話したくないので、必要な場合しか触れません。
必要な時とは、職場で上司に説明するときとか。
そういう時も、症状が落ち着いていたら、病名は触れず、持病があって~くらいの説明にとどめます。
上司が、病名を知りたがったら、説明するけど。
あるいは、症状が悪化していて、仕事中にしょっちゅうトイレに行く必要があったら、どういう病気で、トイレに行くのが必須、っていうことを説明しておくと思う。
私の場合は、発症時以外は、UCで入院はしていなくて、免疫力が低くて肺炎で入院してるから、肺炎については言ってます、というか病気休暇をとるので、病院から文書をもらって提出もしますしね。
4 SNSで仲間に発言すれば一番理解してくれる
結局、これにつきるんですが、ツイッターでフォロワーさんに理解を求めるのが一番理解してくれるし、心配してくれるし、共感してくれる。
やっぱり、同じ病気の人は、症状も、不安もわかってくれるもの。
そういう人同士で励ましあえばいいんじゃないかなぁ。
いろいろ書いたけど、この病気は、若くして発症する人が多いから、余計に周りに理解を求めたくなるのかな?と分析してます。
若いうちは、周りの友達同士で、あまり差がないから、病気になると、大きな難点を抱えた気になるのかもしれない。
私は、もうアラフォーなので、みんな人生いろいろなので、UCになったことだけで、そんなに不幸とも感じないですしね…
あと、単純に、発症して10年経過するので、病気の存在が当たり前になっていて、いちいち人に言うほどでもない境地に至っているというのもある。
理解してもらえたからって、病状が軽くなるわけでもないしさ。
自分がわかってあげれば、それでいいじゃない。