自己紹介(潰瘍性大腸炎との出会い)
こんばんは、ダニエルと申します。潰瘍性大腸炎ブログを始めることにしました。
食事や体調を記録することで、これまで以上に寛解を維持して、その情報を同じ病気の人と共有することが目的です。
1 自己紹介
私は、潰瘍性大腸炎歴約10年の40代女子です。この病気は18万人超*1と多くの患者がいますが、難病ですし、いざ罹患したらショックを受けると思います。私自身、発症当時はとても悲しく、人生が終わったような気になってましたが、10年たって、普段はほぼ病気のことを忘れて生活しているし、発症当時に想像したよりは最悪ではない日々を送っています。
2 発症当初
私が潰瘍性大腸炎になったのは約10年前。
大学院生で資格試験の勉強をしていた頃でした。
働いてないし、お金はないし(親の仕送りと奨学金頼みの生活)、好きな人には二股をかけられていて自分は振られそうだし、試験は受かりそうにないし、ないない尽くしで悶悶としていました。
そんな頃に、血便が出るようになっていたんだけど、痔かな?と自己判断し、薬局で買った市販の痔のお薬を使ってみたりしてました。
それでも、血便は続いて、それでもお金もないし、血便って何科に行けばいいかわからないし、恥ずかしいし、そのままにしてました。それまでは、大きな病気になったこともなく、健康に過ごしていたので、病気の概念がなかったのです。
でも、そのままにしていて、自然に治るわけはありません。
クリスマスの頃、突然、高熱が出ました。おなかもとても痛かった。その頃の私は、熱と言えば風邪を疑うくらいしかなかったけど、おなかがあまりにも痛いから、これは風邪のレベルではないとさすがに察しました。
連休で、病院はお休みだったから、救急に行きました。この時、あんまりつらかったので、どんな検査をしたかあまり記憶にないんだけど、すぐに入院になって、大腸に問題がありそうだけど、何が効くかわからず、絶食して点滴の日々が始まりました。
クリスマスという世の多くの人々が幸せなときに、自分はこんなつらい状況でいるのが悲しい気持ちもわずかにあったけど、このときは本当に身体がしんどかったので、必死であまり感情がありませんでした。
幸い、主治医が熱い親切なおっちゃん*2で、試した抗生物質(たしか。うろ覚えだけど)が効いて、高熱は下がりました。
それでも、大腸がボロボロだったので、絶食で点滴が一週間続き、その後おかゆなどのおなかにやさしい食事になりました。
私は、当時それほど食への執着が強くなかったんですが、この絶食期間がつらくてつらくて、この絶食期間を境にして、食への執着がやたらと強くなりました笑
自分はこんなに食べ物好きだったんだ!という新たな発見です。まあ、このあとは病気柄なんでも食べれるわけではなくなるという悲しいジレンマはあるのですが…
おなかにやさしい食事になってからも、点滴の日々で、少したって体調が安定した頃に大腸カメラ*3をして、正式に潰瘍性大腸炎と診断されました。当初は、クローン病も疑われてました。
結局、約1ヵ月入院し、そのあとは自宅療養ということで、服薬を続けることになりました。また、退院前に食事について指導を受けました。
3 発症した人に伝えたいこと
この病気になって、落ち込まない人はいないと思う。難病、という字面のインパクト。潰瘍性大腸炎という病名も漢字が難しくて書けない(どうでもいい)。完治しないと言われていること。食事の制限がずっと続くこと。最悪です。
でも、この病気の原因は(解明されていないけど)、ストレスではないかと言われていて、私自身どうでもいいこと(進路や恋愛)に悶悶と悩んでいた自覚はあったから、やはり思い悩んでいるのは限りなく心身に悪いと痛感しました。もう無駄に悩むのはやめよう。少しずつでも、明るい方向を見ていこう。
実際に、体調がよくなるにつれて、私は気持ちも徐々に上向きになってきました。今は、体調はそこそこだし、仕事もしてるし、趣味もあって、充実した毎日を過ごせてます(結婚はしてないけど)。
4 まとめ
今日は、私が潰瘍性大腸炎を発症した頃についてまとめました。やはり、発症は悲しかったし、落ち込みます。でも、明けない夜はないです。食事や体調に気を使うようになるから、結果として、健康でいられるかもしれない(すでに病気ではあるけど。矛盾)。病気と付き合いながら、人生を深く味わっていきましょう。